オープンハート炎上事案に学ぶ”ダサい”の用法
こんにちは、小野ほりでいです。
みなさん、「ダサい」って言われるの怖くないですか?「ダサい」の定義から見なおして、真にダサいのは誰かはっきりしてやりましょう。
<登場人物>
エリコちゃん
何も考えずに生きて何も考えずに死んでいく。普通のOL。
ミカ先輩
考えすぎて何もできずに死んでいく、エリコの先輩。
国税庁
内国税の適正かつ公平な賦課及び徴収の実現、酒類業の健全な発達及び税理士業務の適正な運営の確保を図ることを任務とする財務省の外局。
炎上大好き
先輩! 先輩! 炎上案件ですよ~!
ほんと!? どこ? どこ?
炎上大好き~!
38歳童貞とデートしたらティファニーのオープンハートをプレゼントされた!!
ギャイーーーッ!!!!!!
うぅ~…。
ギャッハッハ! また騙された!
ひどいわエリコちゃん…。
この案件はダメだと言ったわよね…。
何をそんなに怖がることがあるんですか?
性差…ジェネレーションギャップ…劣等感…触れるだけで炎上しかねないデリケートな要素盛り沢山にくわえて、一度怒らせた界隈…。
いいこと、エリコちゃん…。
このミカ、殴っても絶対に反撃してこない相手しか攻撃しないのよ!!
清々しいクズだ!
だから、この話の中核には触れないわ!
絶対触れないわ! だけど…。
だけど?
この話に「確かにダサいけどいじるのはかわいそう」
みたいな、全員ひっくるめて上に立とうとしてるやつ…。
何なの!?「確かにダサいけど」っている!? どうしてインターネットの人って、そんな小さいところでまで上に立とうとするの? クゥ~!
とにかくお前だよお前! お前なら勝てるからボロクソに言わせてもらうぞ!
お前のせいで今回はミカの説教回だ!
みんなのスクロールバーが火を噴くぜ!
どうして”ダサい”は使いやすい?
エリコちゃんは”ダサい”ってどういう意味で使ってる?
えーと、「センスがない」「かっこわるい」「デザインがよくない」みたいな感じですかね。
そうね、それらの言葉がたった3文字に集約されるのが「ダサい」よね。
でも、「デザインがよくない」のような言い方より「ダサい」が好まれる理由は、単に3文字で言いやすいからだけじゃないの。
私たちが”ダサい”を酷使する一番の理由は【透明の同意者<バック>】をつけることができるからなのよ。
なんか特殊能力みたいなの出てきた!
たとえば人のつけてるアクセサリを「デザインがよくない」と言う場合、それはひとつの主観でしかないわ。だって、好みは人それぞれだから。
でも「ダサい」は違う…。意図的にしろ無意識にしろ、暗に「ほかのみんなもそう思ってる」という自分優位のイメージを植え付けることができるの。
よくわからないけど、言われてみればそう思えなくもない~。
こういうふうに自分の主観的な意見に曖昧な客観性を付与する言い方を”発言にバックをつける”と私は呼んでいるわ。
ほかにも、そういう言い方ってあるんですか?
「つまらない」なら「滑ってる」、「俺がムカつく」なら「社会で通用しない」とかいろいろよ。みんなも探してみてね。
ミカ先輩のオシャレ哲学
ファッションに限った話でなないけど、「自分がどうしたいか」と「他人がどう思うか」の中で、どうバランスを取るかはすべて自己責任なの。
モテたければモテる服を着ればいいし、自分がしたいようにすることが大事なら他人の言うことなんて無視すればいい。それを決めるのは自分よ。
だから、「好きな格好をしてモテたい」と嘆く愚か者がいたら「甘えるな」と言いながら、ささくれ立った角材で殴打してあげましょうね。
オシャレの道は厳しいんですね!
だけど、これだけは言わせて…。誰に何て言われようと、自分がしたい格好をするのが真のオシャレなの。それは海が深く、大地が広いことより当たり前の事実よ。
壮大な話だ。
そもそも、好き嫌いなんて人それぞれよ。流行も巡るものだから、一度「ダサい」になったものがずっとそのままというわけでもない。
だから本当は、人が身につけている服やものが自分はかっこよくないと思っていても、わざわざ大っぴらに「ダサい」なんて言わないでいるのが大人なのよ。
それはわかるんですけど、逆に何かを「ダサい」と思う気持ちも尊重されるべきでは?
もちろんそうよ! 自分が勝手に何かを好きでいることも、勝手に何かを嫌いでいることも完全に自由だし、多分憲法とかで保証されてるのよ。
そういうふうに、何かを好きでいるのが個人にとって大事なことだからこそ、自分が邪魔されたくないように他人の邪魔も極力しないでいようという話なの。
なるほど…。
でも、もしかしたら「これはダサい」とか教えてあげるのって親切心なのかもしれませんよ?
そうかもしれない…。だけど私はこれって、ネット上のキラキラネーム叩きと似てると思うの。あれって、「子どもがかわいそう」という親切心に見せかけて、文化圏の違う人間を揶揄したいだけよね。
だって、文化圏の違う人間を揶揄するの楽しいし…。
どうして認め合えないの?
…にも関わらず!
どうして人は他人の好みにケチをつけたがるのか!
!?
そこに私は、ひとつの仮説を立てている。
それは「価値観のあやふやな者ほど”側”を作りたがる」という理論よ。
説明オナシャス。
エリコちゃんは罪を犯した人に関しての街頭インタビューで「信じられない。同じ人として理解に苦しむ」みたいなことを言う人を見たことがあるかしら?
ああいう人は生まれつきの常識人…ではなく、「自分と犯罪者を差別化するものが見つけられず、盲目的に立場の違いを強調することでバリケードを張っている」のよ。
なるほど、わからない。
残念ながら聖職者だろうが殺人鬼だろうが同じ人間…。エリコちゃんだって、殺人鬼と同じ環境で育ったら殺しまくってるかもしれないんわ。
ハッ…そんな…。
同様に、ことさらに何かを「ダサい」と言う人はダサい人と自分の明確な違いが見つけられず、いつ「ダサい」になってしまうかビクビクしている。
そして、「ダサい」と言われたくないあまり、言う側としての地盤を固めるために「ダサい」を連呼してしまうのよ。これが「側」を作りたがる人の心理。
専門家でもないのに、そんなこと言い切って大丈夫なんですか?
知らない。今のところ怒られてない。
否定すれば勝ち?
でも、そうやって他人のセンスにケチをつけてる人も、かつては自分の好きなものを否定された苦い経験を持ってるのよ。
確かに、好きなものを否定されるのはつらい…。
時には何かを好きでいるのをやめたくなってしまうほどにね。
だって、プライドが傷つくじゃない。
自分が評価しているものが他人や大勢の人に否定されてしまったら。
確かに、近年のネットには否定しとけば勝ちみたいな風潮がありますね。
こうやって目の輝きを失った結果、人は何でも「嫌い」から入り、
他人の粗探しをしてはネットに書き込むようなカスになってしまうのよ。
私の顔で例えるのやめてくれますかねえ。
でも、本当にカッコ悪い…いや、”ダサい”のはそうやって他人の視線で自分の意見を変えてしまうこと。何万人に否定されようと、好きなものは好きでいていいのよ。
もっと怖いのは、そうやって他人の視線で意見を変えさせられた人は、同じように自分の気に入らないものを好む人を見つけたらそれを嫌いになるように強要してしまうことね。
「俺達が先輩にシゴかれたんだから後輩もシゴく」で受け継がれていく、体育会系の悪しき伝統みたいな感じですね。
でも、大丈夫。他人の好みにケチをつけるのをやめれば、あなたも自分の好みにケチをつける人を無視していい世界に住めるんだからね。
なるほど…。まとめると、他人のいうことに従順な人は、一方で他人に自分の言うことを聞かせようとしてしまう場合があるんですね。
そうなの? 知らない。
違った!
というわけで、今回は炎上とかなしで穏便に…。
(おわり)
まとめは否定されたけど、先輩もたまにはいいこと言うんだな~。私も人の言うことを気にせずに、好き勝手オシャレしてみようかな。これにこれとこれを合わせて…。
うん…かわいいかも!
先輩~。
先輩! 私も他人の視線を気にせずに、自分のオシャレを生きますね!
そういう問題じゃない。